弁護士への頼み方②

続いて、関係する人物をまとめ、時系列表や目録をつくっておきます。ただ不満を主張するだけでは前へ進みません。関係する人それぞれの名前と簡単なプロフィールを一覧表にし、何年何月何日に何があったかを伝えると、背景が浮かんで見えてきます。

 さらに、交通事故で現場写真に加えて、どこからどの角度で撮影したのかが分かると、全体像を知ることができます。

 弁護士に伝えるべき事実は、「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように」。5W1Hなどの要件事実が必要になります。

 証拠や資料は全て持参しましょう。日記や手紙など見過ごされがちなものが証拠となり、意外と役に立つこともあります。

 不利な事実も正直に話します。不利と思った事実が逆に有利に働くこともあります。正直に伝えていないと裁判の証人尋問で弁護士が立ち往生することもあります。

 また、時効や提訴の期間には制限があるため、手遅れになる前に相談することが重要です。

 裁判所は「事実認定を争う場」です。事実を客観的に説明し、いち早く弁護士に全体像を把握してもらうことが大切です。

弁護士への頼み方①

 初めて弁護士に相談する人は、何が話すべきポイントなのか分からない人がほとんどです。どう話したら弁護士にポイントを押さえた説明ができるのでしょうか。

 まず、何を依頼したいのか、建築紛争なのか離婚相談なのか、労働事件では、自身の地位保全なのか、賃金をもらったら辞めてもいいのか、などをはっきりさせます。

 相談は個別にします。離婚相談で女性の父親が付き添ってくることもありますが、親の前では言いにくいこともあるため、本人だけと話す必要があります。遺産相談では、相続人の利害が対立することもあるため、一度に全員から話を聞けません。

 

私の一冊

不動産激変 ーコロナが変えた日本社会ー

牧野知弘 著

神伝社(新伝社新書)2020年9月刊

 コロナ禍は、人類社会に大きな影響をもたらした。人類がこれまで当然のように考えてきた「集中」「効率」の概念を一気に覆した。

 これまで非効率と思われていた「分散」した社会構造で働くことが、意外にも現在の情報通信端末やソフトウェアで十分可能であり、コロナ禍はそれを証明する機会になった、と著者は説く。世界中の人々が「分散」する快適性に気付いたのか、コロナ禍がもたらした副産物だというのである。これをテレワーク、巨大オフィスの移転、郊外衛星都市の復権など、さまざまな事象から例証していく。

 この分散社会を支えるのが情報通信を基軸としたネットワーク社会。ビジネス、ライフスタイル、都市、不動産―あらゆるパラダイムシフトが起きている今の時代に、叡智を与えてくれる一冊。

雑感

 コロナ禍の中、日本で二度目の開催となった「東京オリンピック」が無事終わりました。57年前の10月10日、前回のオリンピック開会式で、晴れた上空を舞う航空自衛隊ブルーインパルスの雄姿や、最終聖火ランナー坂井義則さんの真っ白いユニフォーム姿の映像が今でも目に浮かびます、今回のオリンピックと前回との想い出など、世代を超えて皆さんで話し合う良い機会となるでしょう。開催に向けていろんな意見がありましたが、メダルを獲得された選手だけでなく出場された全員の思いがかなって良かったのではないでしょうか。同時にパラリンピックも開催されました。開会式を盛り上げたパフォーマーの皆さんのキラキラした笑顔に感動された方も多かったことと思います。選手の皆さんの日頃の成果に期待したいと思います。

変わりゆく供養スタイル③

 一方で、「生きてきた証しを残したい」「自然の土に返したい」と、思い出を語り、先祖に話し掛ける祈りの場所として、お墓を建てる人もいます。思いやデザイン性を重要視したお墓が多く、故人に思いを伝えるため、「和」「ありがとう」「愛」「絆」などの文字が彫刻されているものも。無宗派で供養できるので心配不要です。

変わりゆく供養スタイル②

 仏壇も、伝統型の仏壇から、家具調仏壇へと移行する傾向にあり、設置場所も和室の仏間からリビングへ置かれるようになってきております。家具調仏壇は、置き場所を選ばないデザインで、自由に祭ることができます。さらに近年、一見仏壇とは思えないモダンなものに買い替える人も多くなっています。リビングや、家族、友人が集まる場所に、先祖や故人をしのぶ仏壇を置いておしゃれに供養する人が増えているのです。

変わりゆく供養スタイル①

 従来の埋葬方法は、墓地に墓を建てて納骨する方法と、寺の納骨堂に納める方法の2種類が主でしたが、現在ではお墓を継がせることができないといった理由から墓じまいをして合葬墓に埋葬する方法や、樹木葬、海洋葬、宇宙葬や家に骨を保管するなど、供養の選択肢が増えています。

 墓を建てない人や墓じまいをした人には、自宅で遺骨を管理し、故人を身近で供養する手元供養が選ばれています。粉骨したり、分骨したりして手元で供養するケースも増えており、供養の形がここ数年で変化しています。仏壇の中に骨を保管する人もいますが、もっと身近に感じたい人には、遺骨や遺灰をネックレスやブレスレット、指輪などに納めて身に着ける方法もあります。遺骨を人工ダイヤモンドに加工する供養方法も注目されています。思い出の品や遺骨を納められるミニ骨つぼや携帯骨つぼなど種類は豊富。供養する人に生活の一部となっています。

用途に合わせた封筒をご用意しております

新しい生活様式や、SDGsへの取り組みなど、環境意識の高まりを受けて、求められる封筒の種類や運用方法も変わりつつあります。環境関連のマーク印刷に関することや、フィルム素材から「紙製の封筒への切り替え」など脱プラのご相談なども多くいただいております。お気軽に当社までお声かけください。

●安心面でのPRに→抗菌・抗ウイルス封筒

●SDGsの目標達成に貢献

●重要書類などに→透けない封筒(全124種類)

●すぐにお届けできる窓封筒→窓封筒(全210種類)

●水濡れ対策に→撥水(はっすい)封筒

●同封できる便利な封筒→返信用封筒

朝倉氏が生きた戦乱の世

 戦国時代とは応仁元年(1467)の応仁の乱に始まり、天正元年(1573)に15代室町将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放され室町幕府が倒されるまでの時代を指します。

 その時代は、まさに朝倉氏の一乗谷初代当主孝景が活躍し、その約100年後、最後の当主義景が織田信長に滅ぼされ、自害した時期(1573年)と重なります。

 戦国時代は、越前朝倉氏と共に始まり、終わりを告げたと言えるかもしれません。

朝倉氏・一乗谷の歴史

朝倉氏の越前入国

 朝倉氏の祖先は、但馬国(現在の兵庫県)朝倉庄の豪族でした。

 南北朝時代に、越前の守護となった斯波氏に従って越前に入り、黒丸城(現在の福井市黒松町)に居を構えました。

黒丸城跡から見る九頭竜川 三方を川で囲まれた要害地

応仁の乱の後 越前一国を支配

 応仁の乱で活躍した朝倉孝景と氏景親子は、越前守護斯波氏に替わって、越前一国を支配しました。

 初代孝景は、家訓である「朝倉孝景条々」を制定し、一乗谷に家臣を集めて住まわせ、城下町を造ったことで有名です。

 貞景は、孝景の末子教景(宗滴)と共に加賀の一向一揆を撃退し、朝倉氏の越前支配を確実なものとしました。

 4代当主の孝景は、弱体化した室町幕府を支え、京都から公家や文化人を迎え、一乗谷に雅やかな文化の華を咲かせました。

織田信長に敗れ 越前朝倉氏の終焉

 朝倉氏最後の当主義景は、近江の浅井長政と共に、織田信長と約4年間戦いましたが、天正元年(1573)8月、刀根坂の戦いで大敗しました。最後は一族朝倉景鏡の裏切りにあい、大野で自害しました。

 一乗谷は、押し寄せてきた信長の軍勢によって火を放たれ、瞬く間に巨大な炎の海と化しました。これにより、約100年にわたって華麗な文化の華を咲かせた戦国大名・朝倉氏の城下町は、三日三晩燃え続け、地中深く眠りについたのです。

再々度の感染予防②

イギリス変異株(VOC202012/01,6.1.1.7、
201/501Y V1)は、2020年後半にイギリス南東

部で初めて確認されました。その特徴は感染力の増
強を特徴とする501Yh変異を有していることです。
(N501Y変異は南アフリ力型、ブラジル型、フィリ
ピン型でもおきています。)感染力は従来株に比べ
て25-40%以上の増加、重症化リスクは64%増と

いわれ、今世界で、とくに日本国内でパンデミック
を起こしています。これらは、従来株以上に高齢者
だけでなく、若者にも重症化の危険を増やし、深刻
な後遺症を残すことを知って欲しいと思います。
一つの思いが、国内産のワクチンの開発です。
ご自身の企業を保ち、ご自身、ご家族、従業員の皆
様の健康と生活を保ち続けていただき、より安全で、
有効で、安価なワクチンを作ってもらい、自国だけ
でなく世界中の人たちにそのワクチンを届けたい。
これからの感染予防は、これまでのやり方では通
用しなくなってきました。3密を避けるではなくて、
1密も避けなければならないといわれています。

その中でも特に、「窓を開けて喚起を徹底する。