色彩の効果について①

 人は五感を使って物事を認識しますが、そのうちの約8割は視覚に頼っています。色彩もほぼ目で感じていることになりますが、実は体でも色を感じているといわれています。

 視覚と聴覚の重複障害者であったヘレン・ケラーは、色の違いを認識することができたといわれています。また、ある実験では、目隠しをして赤い部屋に入ると体温、血圧ともに上昇し、青い部屋に入ると下がり、筋肉がリラックスしたといいます。さらに、目を開けた状態で赤い部屋に入ると時間を長く感じ、青い部屋に入ると時間を短く感じるという実験結果もあります。このように、色彩が人に及ぼす効果は、私たちの日常において多くの場所で取り入れられています。

渋沢栄一に学ぶ

成功者はやりたいことを主軸にする

 立志は人生という建築の骨子で、小さい立志はその修飾ですから、最初にそれらの組み合わせをしっかりと考えてかからなければ、後日、せっかくの建築が途中で壊れるようなことにもなりかねないと言えましょう。

 自分が「やりたいこと」が「立志」です。そして自分が「できることを養う」のが学問。自分が「やりたいこと」ができるのはベストな状態ですが、「できること」が人生の主軸になるのは好ましいとは言えません。自分が「できない」ことがあまりにも多くて尻込みしてしまうからです。

渋沢栄一より学ぶ

 私たち凡人は、志を立てる際、何かと迷いがちですが、目の前の社会のムードに流されたり、周囲の事情に影響されたりして、自分の本領でもない方向へうっかり乗り出すべきではありません。それは、真の立志ではありません。

 まず、長所と短所をきちんと自覚し、自分が最も優れていると思うところへ向かって目標を設定すること。それと同時に、自分が置かれている環境でそれを実現できるかどうかの判断も必要です。

 どんな人でも日々ささやかな願望が生れてくるものです。例えば「〇〇がほしい」「〇〇さんのようになりたい」なども立志の一つで、私はこれを小さな立志と呼んでいます。生き方の根本となる志を立てたら、枝葉になる小さな立志を叶えるための努力も必要です。日常的に湧き上がる期待や願望を叶えるためには何をするべきかを常に考えるようにしましょう。しかし、小さな立志はちょっとしたことで変わりやすいため、それによって大きな立志がぶれないようにすることが大切です。つまり、大なる立志と小さい立志とが矛盾するようなことがあってはならないということです。

渋沢栄一「大小の目標を矛盾させない」(「立志と学問」の章より)

渋沢栄一について①

 渋沢栄一といえば、明治維新後の新政府に仕えたのち、第一国立銀行をはじめ約500社の企業の創立および発展に貢献した日本の企業の先駆者であり、「日本の資本主義の父」といわれる人物。彼の思想をまとめた講演集「論語と算盤」は大正期の1916年に出版されたものながら、今なお多くの経営者や指導者の愛読書となっています。混迷の時代の今こそ、「論語と算盤」から経営のヒントを学んでいきたいと思います。

ポリオとコロナウイルス①

 ポリオウイルスはその歴史を紀元前14世紀のエジプト王朝の石碑に描かれてい人物にまでさかのぼることができるといわれています。ポリオウイルスは天然痘と同じく、人から人という感染経路しかないために、根絶可能であり、多くの機関や組織が活動しています。そして、今年8月26日、3年間発症がなかったアメリカにおいて野生株のポリオが根絶されたと宣言されました。ポリオが残るのはアフガニスタンとパキスタンだけ。ところが、今年3月新型コロナウイルス感染リスクを避けるため、ワクチン投与は両国で中止となりました。しかし、両国とも7月には再開。合計5000万人近いともいわれる子供たちを対象にワクチン投与が再開されたのです。

 責任者は、「COVID-19の影響によって、ポリオとの闘いにおいて新たな挑戦と後退も経験しましたが、この伝染性疾患の根絶への取り組みは、再び軌道にのっております。両国政府とWHO、ビル&メリンタ・ゲイツ財団、GAVIアライアンス、アメリ力疾病予防管理センタ(CDC)などのパートナーとの協力のもと、そして最前線の保健員の献身的な活動によって、すべての子どもたちに手を差し伸べることを約束します」と述べています。なお、3月から8月の聞に、アフガニスタンでは34人、パキスタンでは63人のポリオ感染が報告されました。

今年の越前の海に想いをよせて

新型コロナウイルスの感染がなかなか収まらない中、福井県の海水浴場も今年は海の家が建たなかったところが多くありました。それでも海が恋しくて私を含め来る人はいましたが、さすがに広々として淋しい想いをいたしました。

柴田勝家に想う

 柴田勝家と云うと誰でも織田信長、家臣団随一の猛将として数々の戦功を打ち立て(28戦18勝9敗1分け)「鬼の権六、瓶割り柴田」と恐れられた戦国武
将であります。しかしその反面、町づくりの名人でもありました。
 北陸街道の改修(栃ノ木峠の拡張・九十九橋<半石半木の奇橋>・鎖でつない
だ舟橋)や、刀ざらえで武器を農耕具に変え農業生産の効率を上げた。
 城下町に於いては、長い間の一向一揆で離散した民衆を安住させる為の施や、焼け野原になった朝倉一乗谷の町民、職人、文化人、医者、寺院などを引っ越しさせ保護することで町の発展に寄与させ現在の福井の商業や街並みの基盤を築いた政治家でもありました。
 また、わずか一年足らずの家庭生活の中で「お市の方」の心をつかみ、家族の
絆を深め、北ノ庄城で夫婦で生涯を過ごされた人間愛に満ちた武将でもありました。
 「敗軍の将、兵を語らず」賤ケ岳の戦いで敗囚を語らず、未練がましいところがなく、潔い立派な戦国武将であり、現在も坂本龍馬、高杉晋作と共に特に女性に人気のある柴田勝家であります。

笑顔で生きているから幸せになる

 人は幸せだから笑顔になるのではない。笑顔で生きているから、幸せになるのです。
 これを実践していただくために笑顔棒を作りました。顔を分析してみると、
知のポイント
(知性、上品、考える)
情のポイント
(可愛い、甘える、感情)
意のポイント
(頑張る、行動的、意志的)知、情、意の三文法があり、それぞれ大切なポイントですが心を元気にするには、意のポイント、すなわち、口、顎に注目し、笑顔の力をつけるシステムを考えました。笑顔が力をつけるあなたの笑顔で人を元気に出来るのは顎を引いて口が笑うという笑顔です。
 人は自分のことはわからない。この事に気がつけば幸せな日々が送れるのではないでしょうか。ご自分のことを一番わかってくれるのが、あなたの一番近くにいてくれる人です。
 素直な気持ちでその声を聞くことが大切ではと日々思っています。顎を引て口が笑い、近くの人の意見を素直に聞く、そんな生活が出来たら簡単なようでむつかしい、でも考え方を変えれば、すぐ出来るのも大です。

蓮如上人と明源寺の向拝柱

 向拝とは、社殿や仏堂の正面に張り出した部分で階段前の礼拝をする場所のことを言います。向拝の柱間は一つか三つが普通で、従って柱は二本または四本と言うことになりますが、柱が四本の大きな向拝を持つ御堂を建てるには、その堂に特別な由緒や相当の格式があり、しかも本山よりの許可かなければ建てることが出来なかったと言われています。
 羽坂の明源寺は、泰澄大師の開基と言われ、はじめ天台宗の寺でありましが、
文明三年蓮如上人が都をのがれ、北陸に向かわれる途中この寺にお入りになり、しばらくご滞在になったときに浄土真宗になりました。
 蓮如上人吉崎へ移られる時、その娘の「見玉尼公」をこの寺に残され、その子の「寿如上人」がこの寺を継がれました。
 それから代々の住職が法灯を守り現在まで続いています。
 福井をはじめ、各地に別院が出来るまでは、越前と加賀の本願寺総坊として「高雄御坊」と呼ばれていました。天正年間、織田信長の兵火にかかり伽藍を焼
失しましたが、のちに北の庄城主、堀秀政の命により再建され、このとき、誠仁親王より「高雄御坊」の額を賜っています。
 その後福井藩主松平侯の帰依厚く度々の御来参があり、特に住職には三つ葵の定紋の使用や、駕籠にて御本丸玄関への乗り入れが許されたと言うことです。
 またこの寺の御本尊である阿弥陀如来木像は、蓮如上人が吉崎より関西へお帰りの時、「寿如上人」に贈られたものであると言われています。
 明源寺の御堂が四本柱の向拝を持つ立派な建物であるということは、このような由緒と格式を持つ寺であったからだと思います。
 現在の御堂は、百数十年前に再建されたものですが、良質の材料を使い、寺院
建築の様式に則り高度な技術をもって造られています。
 近隣にない立派な御堂と、格別の由緒を持つこの寺は、数百の門徒の誇りとす
るところともなっています。

越前水仙に想う

 水仙は、正月用の花として根強い人気がある。越前の水仙は福井県の郷土の花である。冬ともなれば日本海は荒海となり表情が険しく鉛色の雲が垂れる。その海を真近に水仙は寒風に吹きさらされながら清楚な美しさと香りを放っている。
 海岸沿いの崖に連なって咲く水仙の部落に心ひかれる。カメラマンにとって絶好の場所で多くの人が訪れる。沿岸を流れる対馬暖流と寒流が合流して冬は県内でも最も暖かい地方である。海岸沿いの越前町梅浦から岬の上へ急な坂を登っていくと水仙畑が現れる。急な斜面を見下ろす真下は海である。斜面を這うように又は横歩きしながら重心とり鎌で水仙を刈り取って背に負った筒に入れて進む。
足を踏みはずしたら海まで真っ逆さまである。寒風に手をさらしながら縮かむ手を擦るひまもない。
 清楚で気品のある水仙畑を見るにつけ急坂を登り降りする過酷な労働を支えてきた越前女の辛抱強さをそこに見る思いである。