柴田勝家に想う

 柴田勝家と云うと誰でも織田信長、家臣団随一の猛将として数々の戦功を打ち立て(28戦18勝9敗1分け)「鬼の権六、瓶割り柴田」と恐れられた戦国武
将であります。しかしその反面、町づくりの名人でもありました。
 北陸街道の改修(栃ノ木峠の拡張・九十九橋<半石半木の奇橋>・鎖でつない
だ舟橋)や、刀ざらえで武器を農耕具に変え農業生産の効率を上げた。
 城下町に於いては、長い間の一向一揆で離散した民衆を安住させる為の施や、焼け野原になった朝倉一乗谷の町民、職人、文化人、医者、寺院などを引っ越しさせ保護することで町の発展に寄与させ現在の福井の商業や街並みの基盤を築いた政治家でもありました。
 また、わずか一年足らずの家庭生活の中で「お市の方」の心をつかみ、家族の
絆を深め、北ノ庄城で夫婦で生涯を過ごされた人間愛に満ちた武将でもありました。
 「敗軍の将、兵を語らず」賤ケ岳の戦いで敗囚を語らず、未練がましいところがなく、潔い立派な戦国武将であり、現在も坂本龍馬、高杉晋作と共に特に女性に人気のある柴田勝家であります。